生きるとは、絶えず何かしらの不安を抱えること
どうも、しゅーぴーです。
こんにちは。できることなら、楽しく生きたいですよね。
挑戦することについて
たとえば、現状のじぶんに満足していないとして、そしたらどうやってじぶんを納得させるのかというと、ひたすらにトライアンドエラーしかないと思うのです。それはしばしば挑戦と呼ばれるものだったりもします。今の仕事に満足しないなら、部署を変えてみる、部署を変えてみてもダメなら職場を変えてみる。といったように、環境を変えるという選択をとってみることが大切だということです。勇気がないなら細かく段階的に環境変化をしてみることです。そうすると、後悔や不安要素が確実に減ります。不安を失くすことはできません。それはデメリットのない選択はないことと似ています。人が生きるというのは、絶えず何かしらの不安を抱えることこそが健全な生き方だとわたしは思っていますので。
失敗することについて
例えば、転職して失敗だったと感じることもあるかもしれません。そこで大切になるのは何を失敗として判断するかだと思います。想像よりも・・・だった。という印象がいろいろと出てくるのはほとんどだと思います。しかし、それが失敗かどうかというのもかなり判断が難しいことです。そこで考えるべきことは、基本的には、それが一生取り返しのつかないことなのか?という判断基準を持つとよいのかもしれません。だいたい失敗して心が萎えるというのは、自分の想像通りではなかったという部分だと思います。しかし、それはもう一生どうしようもないことなのか?と考えると、それは違うというものが大半ではないでしょうか。世の中想像通りにすすむことはほとんどないわけで、大なり小なりの誤差があるものです。もしも転職しなかったとしても、自分が思い描いていたプラン通りには進まないかもしれないこともあるわけです。そして、常にじぶんの判断は正しいと思い込むのが人情です。なので、自分の判断にはかならず誤差があると思っておくことが健全だと思います。これだけ価値観が多様化して、便利な世の中なわけですから、死なない限りはどうとでもなると思うのですがね。
時間について
戦うべきもの、大切にすべきものは時間だとおもいます。お金があってできることもたくさんありますが、時間がないとお金があってもできないとおもいます。そして時間でお金を得ることよりも、お金で時間を得る機会の方がこの世は断然少ないとも思います。なので、やや極論ですが、究極は価値の大小関係としては、時間>お金だとわたしは思っています。Time is more than moneyです。そして、現在は若い時ほど、身体と頭を使いやすいというのが生物の特徴ですので、若い時ほど、よく頭と身体を使い歳をとってからは使いにくくなった頭と身体をうまく歓迎できるような素地をつくっておくことが正しいのではないかとも思うのです。しかし、どれくらいまで生きるかは個人差があるので、絶対的には身体と頭は動く内に動く程に使うべきだと思っています。そうすると、お金とかそういったものも自然とくっついてくるはずだとおもっています。
まとめ
ですので、じぶんの思うものにはもっと挑戦してよいと思うんですよね。失敗を決めるのはいつも自分でしかなくて、それを失敗と認めない限り失敗にはならないと思うんですよね。日々を淡々と続ける覚悟さえあればたいていのことは良い方向に向いてくるのではないでしょうか。
ボブ・ディランのlike a rolling stoneを聴きたくなりますよね。
ではでは!