たのしい工学

プログラミングを学んで、モノをつくりたいひと、効率的に仕事をしたい人のための硬派なブログになりました

大卒の肩書は本当に必要か?

   

どうも、しゅーぴーです。

今日は、学歴と就職について書いてみようとおもいます。

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-14-11-43-39

ほんとうに大卒の肩書は必要なのか

就職してみてずっと思っていることですが、じっさい要らないと思うんですよね。大手企業となると軒並み大卒が前提条件となっているようですが、実際、学んだことをそのまま活かして就く仕事なんてほとんどないわけです。考えてみてください。世の中の仕事の需要は変化するものであるのに対して、大学の学部学科の変化はどうでしょうか。学部学科はほとんど変わっていないと思うのですが。つまり、大学で学んだことと、社会に出て労働する内容が一致するようには、そもそも世の中はできていないんですよね。働き手としての能力は、社会に出てから身につくものだと考えるほうがよほど自然だと思います。そもそも大学では仕事をするためのことを学ぶ場所ではないという声もあるでしょう。それなら、企業は採用条件に大卒を課す理由はなんなのかと問いたくなります。例えば、大学を卒業するほどの学力を有することが、その人物の能力の期待値になるからでしょうか?

大卒採用は企業がラクをするためでは

たしかに学力とある程度の相関はあるかもしれませんが、必ずしもそうではないというのも事実だということは分かっています。大学にも行かず、個人的に事業を立ち上げて利益をあげている人もいるわけです。一般企業の目的は利益追求であって、結局は利益を追求しそれを生み出すことが上手な人を企業は獲得できればよいわけですから、それと学力というのは直接的に関わりはないわけです。つまり企業は、学力が高いことと仕事をする能力(利益を追求する能力)を同じものだとみなす傾向で採用をしているだけなのでしょう。学力が高いことが成果を上げることに期待してよいのは、研究職などのアカデミックな世界に限られると考えるのが自然だと思います。仮説を立てると、大卒の意味は企業の採用活動の効率化とも思えてきます。結局多くの人材の中から採用するなら、その方が効率がいい。それだけのことで、なんら本質的な意味はないということでしょう。学歴不問で募集して、全員と面接なりのその人物評価の機会を設けることが面倒なだけではと思います。

3年で辞めるのはそもそも企業の責任だとは考えないのか

こうなると、当然ミスマッチは起こるわけです。3年で辞める人云々ありますが、不思議と辞めた側だけの責任に聞こえてくるのは私だけでしょうか。採った側にも同様に責任があるわけです。世間は就職を結婚にたとえているなら、辞めることは離婚にたとえて双方に理由があると考えた方がよいですよね。つまり、採った側の怠惰のせいでやめてしまうというケースも多くあるはずです。根性がないとか、逃げだとか、そういうのは全て辞める側に責任があると考えているひとの偏見です。離婚には双方に理由があるということを忘れてはいけないのです。成田離婚(結婚したての男女が新婚旅行を機に離婚してしまうこと)という言葉もあるわけで、別に1ヶ月で会社をやめることも普通にありうるわけです。となると、さっさと嫌なら辞めて独身(フリーランス)なり再婚(就職)なりしても普通ですよね。

いちばんはやりたいように今を生きること

という感じで世の中は変なことが普通だとされていることもたくさんあるわけで、なにが普通で何が変かなんて実際よくわからないです。たぶん、やりたいようにそのひとが生きることが正しいです。明日死ぬのに未来を考えるひとはあまりいないと思います。今が充実することが一番で、そういう風に生きた結果が人生にちゃんとはねかえってくるようにできているはずなんでしょうね。大手企業に提言するとすれば、学歴不問で新卒採用をやってみるとおもしろいのではということです。書類選考するにも学歴を書かせず、志望動機だけを書かせて、面倒でも応募者選考にもっとコストをかけてみる。すると、おもしろい人材がとれて新しい風が吹き、世の中も活性化すると思うのですがね。

ではでは!



 - 仕事