たのしい工学

プログラミングを学んで、モノをつくりたいひと、効率的に仕事をしたい人のための硬派なブログになりました

幸せになりたければ、何かに夢中になればいい

   

どうも、しゅーぴーです。

きょうは日曜日ですね。いかがおすごしでしょうか。

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-11-11-40-14

楽しくないのは、あなたが何かに夢中じゃないから

いつ死ぬかもわからない日を生きることは、暗闇の中を懐中電灯で照らしながら歩くようなものではないでしょうか。いつどこで何があるかはわからない。だからこそ、いろいろと可能性を感じていたいし、一方で臆病にもなったりするのでしょう。今日は日曜日ですが、なにか予定は決まっていますか?とくに何もなく、明日は月曜日だから大人しくしていたいのかもしれません。たとえば趣味でも何でも、日々継続的に没頭することができることがあると、毎日の楽しさって違うと思います。いちばんつまらないと思うのは、毎日なにかに没頭できないことだと思います。じつはとにかく没頭できれば、それが何であろうと充実はするものです。それがやりたいことではなかったとしても、わりと充実する。そういうのってあるとおもいませんか。

夢中になるものをさがす

無我夢中ということばもあるくらいで、夢中になるというのは我を忘れるほどに没頭することをいうのだとおもうんです。あまり自分のことを考えないときには、かならず何か他のことに夢中になっているのだと思うのです。楽しかったりするのは、世間、自分以外の世界のなにかにふれた時です。自分のなかのことだけで楽しいと思うことってなかなかないと思うんです。体が成長したり、健康を維持するには食事が必要なのと同じように、楽しいと感じるこころにも食事がいるはずです。結局、夢中になるというのはこころが囚われた状態のことだと思います。そういうものを探してみると、さがす前には結構ありそうだと思うのですが、じつはそれほど多くなかったりもして、なにをやってもすぐに飽きてしまったり。そういう時は、夢中になるものと出会えていないということになるのだと思います。出会うことは難しい。これはお金をつんだところでわかるものでもないですからね。

何かにすがりたいから夢中になる

根本的には、何かにすがっていたい部分がひとにはあると思うんです。そして夢中になるとそのすがる感覚がいつの間にか満たされていたりします。だからこそ、夢中になれることを求めてスポーツや芸術や仕事に熱中したりするのでしょう。そうすると、救われたここちがするんですよね。それは漫然と生きているつまらなさからだったりします。スポーツで記録を狙うのも、芸術でよい作品を生み出そうとするのも、仕事で利益を生もうとするのも、すべてはおなじことだと思います。つまりは夢中になるために、そういう行為を生み出して来たのではないかということです。そしてそういうものってほとんどが理屈と照らしあわせると間違っているといわれるようなことだったりするんですよね。

ちょっと、疲れたので今日はこれくらいで。

よい日曜日を!

ではでは!

毎月、新しい自分に生まれ変わる!【石井貴士の人生予備校】

 - 生き方