たのしい工学

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理心運で挑もう

   

どうも、しゅーぴーです。

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理と心と運

ものごとにはこの三つの要素があるらしいです。理は理屈で、心は感情、運はそのまま、運。逆にいうと、これらに左右されるということです。どれがいいとかではなくて、必然とこの三つに割り当てられるって感じです。

理と心と運の関係性

では、これらがどう関わり合うのかですが、たとえば、仕事でなにか企画をしなくてはいけないことがあったとしましょう。企画をする上では、もちろん成功を前提とします。まず、仮説を立てます。その仮説を立てる上でまず必要になってくるのが、理ではないでしょうか。どうしてその仮説が仮説として成立するのかの根拠をはっきりさせなければならないわけで、客観的に説明する必要がでてきます。仮説が立ったとして、では実際にやってみようとなった場合、どうしても、不安なことがあったとしましょう。理屈は立っていても、実際に気が進まないという状況です。こうなった場合に関わってくるのが、心です。つまり、メンタル。感情的な部分です。世の中口で言うほど簡単じゃない。こうなったときには、誰かの言葉が背中を押してくれたりする。たとえば先輩とかが、自分の経験談を交えながら何か示唆をくれたりするだけで、できるような気がしてくる。そういうことってあると思います。ここが不思議というか、生きていておもしろい所だったりする。で、やってみようとなるわけですが、踏ん切りがついてしまえば、もうあとは運なんです。成功するときは成功するし、失敗するときは失敗する。成功することが大切じゃなくて、失敗することがだめでもない。理で説明がつかない部分がたくさんあるのが世の中なわけで、そこをどうやって認められるか、どう、構えるか。

個人的に最近おもっているのは、運の要素まで考えてやらないといけないなってことです。なんせ運も実力のうちって言うくらいで、説明できないものごとの成行きって、多かれ少なかれ生きているとあるんですね。ああ、運が悪かった。運が良かった。くらいで、納得するのって、実はものすごく健全なことなのじゃないかと。

運が科学的に操作できたらいいんですが、そしたらそれはもはや運ではない。そうすると、この世からおみくじはなくなります。

という感じで、運の存在を認めてやると、もう少し何事前向きに考えられるようになったりするんじゃないかなあって思いますがどうでしょう。

ではでは

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