たのしい工学

プログラミングを学んで、モノをつくりたいひと、効率的に仕事をしたい人のための硬派なブログになりました

プライドと好感度について

   

どうも、アイザワです

プライドと好感度は低い方がいいなあと思いながら最近すごしています

で、プライドも好感度もなかなか制御が難しいものではないかと

最近、とあるひとからプライドが高いと言われたのですが、わたしからすると、その人のほうがよっぽどプライドが高いとずっと思っていたんですよね。まあ、定量的に比べることもできるものでもないので、ちゃんと否定すべきことは否定しないと言われ損になるので、なかなかめんどくさい話だったりします。

と、口にはしませんが、誰もがプライドを大なり小なり持っているわけで、それが何かをする上で問題になるほど高い場合に、考えなければならないのだとおもいます。

プライドは低い方がいいと思う理由

ずばり、無駄な労力を除くことができるからです。いろいろ考えたのですが、プライドが高い人は、基本的に自分はなんでもできると思っているひとなので、いろいろとやればできると考えがちなんですよね。で、それが本当に能力が高くて優秀な人ならいいのですが、そうでない人の場合には、ただただ疲れるだけだと思うんですよね。本人はあれもできるこれもできると思っているんでしょうけれど、実際はあれもこれもなにもできないので、努力の袋小路をさまようだけだとおもうんですよね。

能力のあるひとが努力を大切にすることはとてもいいことだと思います。なにせ、その分のリターンもしっかり返ってくるので。でも、そうでないひとが努力を大切にするのは、ただただ消耗するだけだと思うんですが、どうでしょう。向いてないことはさっさとやめた方が、機会損失を最小限に抑えることができるとおもうんですよね。なので、プライドが高くとあまり能力が高くない人は、はやく自分がそれに対して無能であることを自覚して、向いていることにリソースを割いたほうが、世の中のためにもなると思うんですよね。

好感度は低いほうがよい理由

好感度は客観的なものですが、あればあるに越したことはないとは思うかもしれませんが、よくよく考えると、やっぱりない方がいいと思うんですよね。どうしてかと言うと、他人からの期待感を背負うことになるとおもうからです。どうせなら期待感が低いところから始まったほうが、仮に少しでもあがった時に、評価がものすごくよくなるのはこっちの場合です。まあ、とはいえ、好感度は印象なので、どうしようもなかったりする部分もあるので、好感度を狙って行動するのはやめましょうというのが一番なのかなともおもいます。

というわけで、まとめると、どうしたら自由に生きやすくなるかについてのお話でした。

ではでは!

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