たのしい工学

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マザーテレサに学ぶ現代の価値観

   

どうも、しゅーぴーです。

今日はマザーテレサさんのことを書いてみようと思います。
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現代の価値観

現代の価値観というのを考えてみると、おそらくそれは大人たちが一日に一番費やしている時間と関わりのあることになると思います。つまり、仕事ではないかと。そして、その仕事を支配している価値観というものは資本主義思想が根本にあるので、ざっくりと、金やモノという価値観が支配的になるのではとおもったりしています。この価値観が最も大きく存在して、そこにその他の様々な価値観があると考えるのがメジャーかなと。で、その金やモノを手に入れることを目的としようとすることで、他者との比較の競争などに勝とうとする。手に入れた金、モノで、自分がよろこぶこと、快楽を得ようとするというのが、平均的な生き方だと考えてもよいのではないかなと思っています。

不特定多数の他者を敵視して、一人の人さえ見ることができない

資本主義的競争社会に生きていると、戦略性、合理性を考えるようになりますよね。そのほうが利益を最大効率化しやすいからだと思います。そして大きな利益を求めるにつれて組織もおおきくなり、必然と狭い範囲の少数より、より広い範囲の多数を指向します。狩場は多いほうが利益を上げる可能性は高まります。リスク削減にもなりますし。その分、同じことを考えたひととの戦いも激しくなるわけですが。すると自然と少数に対しての意識は薄らいでいきますよね。より広くするということは基本的にはそういうことだと思います。狭い範囲で、少量を、というのは現代の価値観からは逆行するわけです。人間関係にしてもそういうことが言えるのかもしれません。ネットが発達して、場所の制限が取り払われ、以前では考えられなかったくらいに広い範囲で関係を構築することができるようになりました。しかし、自分という人間の人数が増えるわけでもないわけで、必然と数が増えると、一つに対しては薄くなってしまうことは否めないとも思います。現代にある危機感として、広がりすぎたことで、ひとつを大切にすることを忘れてはいないだろうかということがあるのではないでしょうか。

貧民街の聖女マザーテレサ

彼女は「一人の人のため」ということを強調してきました。「死を待つ人々の家」を設立し、瀕死の人を看取りつづけたのも、その思想が具現化されたものの一つでしょう。それによってどんな効果があったか、見返りは何かと考えたとき、全てはゼロのようなものです。それでも彼女はそれに献身したのです。一人の死に関わっているより「社会」を変えることの方が大切ではないかとは、おそらく誰もが考えることでしょう。彼女の身に起こった印象的なエピソードとして「必要なときに必要なことが起こる」というものがあるらしく、お金が必要になれば、彼女に賞が贈られて賞金が手に入ったり、薪がないと思っていると、寄付する人が現れる。現代人の価値観ではこれらを「偶然」として片付けてしまうのかもしれませんが、彼女の場合には計算も計画も超えて必要なことがちゃんと起こるというわけです。そして「一人の人の面倒をみる」ことに献身した彼女は、結果として社会、世界を動かす力を持つに至ったわけです。

マザーテレサにはなれなくても

見えない多数、社会のためにとかこつけて、目に見えるひとりのためにする何かを避けていたりしないでしょうか。生まれたばかりの赤ちゃんが泣いている理由を必死にしろうとすることより、明日の仕事のことの方が大切だと、実際には考えてしまったりすることもあると思います。まずはそういった身近な一人の人と向き合うことを考えてみるのも良いのかもしれません。マザーテレサの有名な言葉に「病気や貧乏はお金や薬があれば治る。しかし、世の中で自分は必要とされていないのだと感じることが一番辛い」というのがあります。価値というのは、利益をえることではなく、救済によって生まれるとも考えられます。現代の価値観で役に立たないと思われる人、能力がない人、お金がない人、体力がない人という人達が、必要とされている感覚を真に感じるようなこと。そういったことというのは、資本主義的な価値観ではないですが、まったくもって正しい価値観であり、数値でははかれない利益を超えたものを生み出す可能性があるのというのではないでしょうか。one for one, all for oneの精神とでもいいましょうか。

ではでは!

 

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