たのしい工学

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【テレビのはなし】NHKの「障害者を感動話に」の方程式批判は24時間テレビへの批判なのか

   

どうも、しゅーぴーです。 今日は、昨日から話題の「感動ポルノ」そしてtwitterで話題になっている「方程式批判」についてだらっと書こうと思います。

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感動批判はなかなかミもフタもない

くわしくはこちらをまず読んでみてください。http://mainichi.jp/articles/20160829/k00/00m/040/091000c いろいろ思うことはあるのですが、まあ、とりあえず世論は多様だということです。とりあえず、記事にたいしてあえてツッコむという野暮をやってみようと思います。

NHKのEテレの情報バラエティー番組「バリバラ」で28日夜、「検証!『障害者×感動』の方程式」と題した生放送があった。「清く正しい障害者」が頑張る姿を感動の対象にすることを「感動ポルノ」と表現し、「感動は差別だ」との障害者の声を伝えた。同時間帯は日本テレビ系で障害者の姿を伝えるチャリティー番組「24時間テレビ」が放送中だった。

まず、同時間帯が「24時間テレビ」が放送中だったということで、NHKは狙ってこの内容を放送したものだと考えるのが自然でしょう。かなりNHKの批判的意識がうかがえますね。(まあ、あなたの所もワンセグの受信料徴収を正当化しようとして敗訴するような組織ですが。おっと、話しが脱線・・・)記事中、「障害者の姿を伝えるチャリティー番組」とありますが、障碍者以外の姿も伝えていますからね。

出演者は「笑いは地球を救う」と書かれたそろいのTシャツ姿。難病の大橋グレース愛喜恵さんを主人公にした模擬ドキュメンタリーも流した。生活の大変さや障害者になった衝撃、明るく前向きな姿を強調。本人の実感や意思を無視して「感動ポルノ」に仕立てられるさまを示した。大橋さんは今回の24時間テレビにも出演した。

「笑いは地球を救う」と書かれたそろいのTシャツですが24時間テレビが「愛は地球を救う」だったと思うので、挑戦的なNHKのスタッフが国民の受信料をつかってこさえた渾身のパロディですね。24時間テレビのTシャツの収益は募金として使われますが、このTシャツの売上はどうなっているのでしょうかね。模擬ドキュメンタリーですが、これって意味があるんですかね。テレビの演出方法を「感動ポルノ」に偏って示しただけではないのでしょうか。とりあえずNHKスタッフの感動の作り方を披露した結果では。

「障害者の感動的な番組をどう思うか?」と健常者と障害者100人ずつに聞いた調査では、「好き」は健常者が45人に対し、障害者は10人。健常者の好きの理由は「勇気がもらえる」「自分の幸せが改めて分かる」など、障害者は「取り上げてもらえるなら、感動話でも仕方ない」だった。英BBCが障害者を英雄や被害者として描くことが侮辱につながるとしたガイドラインを20年前に策定したことも紹介した。

好きの理由というものは主観的なものですよね。仮に障碍者の感動的な番組を意図して制作することは人権侵害だとして禁止するのもおかしな話だと思うのですが。そもそも「障害者の感動的な番組をどう思うか?」という問いかけ自体が差別意識だと思うのですよね。障碍者を取り上げた番組とそれ以外を区別する必要があるのでしょうかね。ただ、そこに自然に「ある番組がある」ということが正しいのだと思いますが。英BBCのガイドラインがどういうものかわからないですが、日本にも放送内容を取り締まる機関としてBPO(番組倫理向上機構)というものがありますので、そこが厳しく日本のテレビの内容は監査しているはずです。

出演した脳性まひの玉木幸則さんは番組内で「(障害者と健常者が)同じ人間として怒ったり笑ったり、思いを重ねることがホンマの感動。一方的な感動の押しつけは差別だ」と話した。

何をもって一方的とするかは主観的な問題なので、難しいですよね。テレビ放送は一方的なので、テレビで放送された内容は基本的には押し付けといえば押し付けですよね。

「バリバラ」は「バリアフリー・バラエティー」の略。2012年に始まり、障害者の性や結婚、高齢化などを当事者らが本音で語る場を提供してきた。「笑い」の要素も大きく、障害をネタにする当事者も出場する、お笑いコンテスト「SHOW−1グランプリ」も開催。今春からは障害者のほか性的マイノリティーなどに対象を広げ、生きづらさを抱える当事者の声を伝えている。【鈴木英生】

バリバラって番組も24時間テレビとやっていることは変わらない(障碍者や社会的少数派をとりあげた番組作りという意味で)とおもうので、きっとこれは自己批判的な要素も含みつつも24時間テレビにつっかかってみたという、ジョークなのかもしれませんね。「笑い」の要素「も」大きくとありますが、他の要素ってなんなんでしょう。別にふつうに笑いの要素があってよいと思いますがね。 で、こんなツイートが。

なにに感動するかはひとりひとりちがいますし、感動は抑えられずに起こるものなので、押し付けるものではないです。なので感動を押し付けだと考えるひとは、なにか腹に公共的ではない個人的な他の気持ちがあるはずです。そして、テレビメディアはコミュニケーションとは違って一方向的なものなので基本押し付けるものです。そういう性質のものですから。それならオリンピックのメダルシーンも相当な感動の押し付けですし。なんだかよくわかりませんが、かなり感情的な意見だと思われますがね。

まとめ

バリバラがバリバラ自身を批判しつつ、あえて24時間テレビの放送時間にこの内容を放送するというのは、NHKは日テレを意識しているのか、24時間テレビを意識しているのかはわかりませんが、挑戦的と受け取られることを覚悟しているのでしょう。しかし、こういうことをする狙いはよく分かりませんよね。ネットで24時間テレビは感動の押し売りだみたいな世論へのアプローチを狙ったのなら、うまくいったのかもしれませんが。結局、本当に24時間テレビが障碍者の人権を毀損するなら、障碍者団体からクレームがきてとっくに番組終了していてもおかしくないと思いますがね。BPOだってちゃんと監視してますし。わたしとしては、他の番組とおなじように世の中にはいろんな人がいるってことを感じさせてくれるコンテンツだと思いますがね。障碍者を感動を引き出すための道具だと感じるひとは、すこしあたまがよすぎるのでは。そういう風に演出家サイドのような意識だけでは見えなくなってしまうものがあるのが世の中のだと思うのですがね。 ちなみに昨日放送の24時間テレビの平均視聴率も15.4%(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160829-00000091-spnannex-ent)だったようです。 ではでは!

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