働きかたを変えたければ、まずどう働くかを考えればよい
どうも、しゅーぴーです。
今日は、社会のことについて書こうとおもいます。
日本の今後
IT化の流れからも明らかになってきているとは思いますが、日本が国際社会で生きていくには、欧米と戦わなければならないことがあるわけです。これはなかなか辛いことではないのかなあと。なぜなら、もともと日本という国は農耕民族で、村社会的な生き方をしてきたために、欧米のような狩猟民族的な個人主義で白黒をはっきりさせる人種ではないわけです。どちらかと言えば、協調、平等、情緒といった意識の強い国民性です。そんな性格な国民が、欧米を相手にするのは明らかに分がわるい気がします。なので、戦うには練習ということで、徐々に日本の国民性が変化し、国内にも競争原理が持ち込まれるようになるわけです。これがよく言われるグローバリゼーションへの参加のしかたではないかなと。ようは日本人も個人主義化してくるということです。これは東京などの経済の中心地の暮らしが、地方の田舎暮らしとは異なっていることと同じようなことだと思います。
日本人も個人主義化
というわけで、好むと好まざると日本人は元来の国民性を離れて、知らぬ間に欧米化しつつあるわけです。これがよいかわるいかはわかりません。各人の性格にもよるところは大きく、そういう欧米的な競争社会のスタイルがあわない人もいれば、合う人もいるでしょう。どっちがという話ではないです。しかし、知らぬ間にグローバルで通用する人格が強制されている節があるのは否めないのではないかなと。なので、そんな意識の最たるものである企業、とくに世界を視野に入れている大企業などではその意識はよけいに強まるものと思われます。個人主義や成果主義といった狩猟民族的発想は、もともとの農耕民族的な思想とは相反するものというわけです。これがだめだとドロップアウトするしかない。しかし、社会の趨勢として存在する個人主義から完璧に逃れることはそう簡単ではない、ということではないでしょうか。
多様化している働き方
という、個人主義に完全に目を背けることができないながらも、それに反抗しようと立ち上がる力のある人がたとえばネットを利用した個人商売、ブログやアフィリエイトをやって稼いだりしているのではないかなあとおもったりするわけです。これらの仕事というのは協業を必要としない個人主義的な思想に合致しながら、欧米的な競争原理からも逃れやすい手段と言えます。なので、こういったスタイルで働くと、自然と個人を強く売る傾向が出てくるのではないかなと。もともとセットであるはずの競争原理と個人主義の発想が分断され、個人主義だけが独立した状態なわけですから、できたすき間は自然と個人主義で埋められていくのではないかなと。つまり、働き方として我を通しやすいというわけです。
まとめ
というわけで、あまりにも日本人の心すぎると、社会でやっていくのは難しいのではないかなというお話です。否が応でも個人主義的になってきているので、日本はそういうもんだとおもって、個人主義的な発想に馴れると、もう少し働きやすくなるのではないかなとおもいました。たとえば、個人として戦うために、自分がどれくらいの戦力があるのかを客観視するには、市場価値診断を利用するのも良いのかもしれませんね。
ではでは!