たのしい工学

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サラリーマンの年収には、本質的な個人の能力とか価値は見えてこない

   

どうも、しゅーぴーです。

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サラリーマンの年収比較について書こうと思います。

サラリーマンの年収比較の虚しさ

よく、企業の年収ランキングとかってあるじゃないですか。あれに果たしてどういう意味があるのかなあってお話です。大体、商社とかTV局とかが上位にきているんですよね。ここらへん詳しくは過去記事の過労をあおる年収ランキングをみてください。こういうランキングを見て得られるものってなんなのかなあって思うんです。サラリーマンの収入って所属する業界とかで大きくことなるわけで、外資系証券会社とかだったら人によったら数千万円とかの年収になるらしいです。じゃあ日系の証券会社とかじゃそういう年収はなかなかないって話で、その違いはもちろん、どれだけ稼ぎを上げているかの違いが基本的には収入の差になって現れているわけでしょうけど。でも、稼ぎが大きいところが必ずしも給料が高いってわけでもないのが世の中だったりして、めちゃくちゃ売っても利益率が低ければ、たいした給料にならなかったり、そもそも人件費を抑えめの社長の意向とかがあったら、同じ内容のしごとをやっていても雇われ人の給料は低くなる。

 

ようは、サラリーマンの給料って、そこまで自分のしごとの価値の評価が払われていないことが多いんじゃないかなあってことです。稼げる業界の方が平均年収は高いですし、稼げない方の業界の方が年収は低い。でも、だからと言って、稼げない業界で働いている人の生み出している価値が、稼げる業界の人よりも絶対に低いのかってのは言えないと思うんですよね。ってか、ここに組織勤めの悲しさがあって、個人の労力の価値っていう比較は間違っていて、個人が寄り集まった組織としてどれだけ稼いだかって比較しか成り立たないんでしょう。それなのに、ときどき飲み会とかである年収自慢みたいなのって、どういう意味があるんでしょうかね。。

 

だから、組織人はこれだけ頑張ったんだから、見返りを求めることもあると思うんですけど、それもけっこう無茶な話なのかなあとも。個人が頑張ったって、組織全体として利益がでていなければ見返りを求める権利ってほとんどないんですよね、きっと。なぜなら会社組織のあげた利益から給料が支払われるわけですから。見返りを求める人情はわかりますが、ここに「稼ぐ」って意味では、サラリーマンっていう構造的の限界を感じます。サラリーマンで稼ぎたいんなら、完全出来高制をうたっているところとか、そもそも年収の高い業界ではたらくって考えるのが素直な考え方だと思います。サラリーマンってこういうもんですよね。

 

サラリーマンのよさはひとりじゃないってところでしょう。ひとりじゃないから、じぶんが稼げなかったぶんがあったとしても、稼いだひとのぶんでカバーしてもらえる。組織ってこういうもんですよね。責任を分散することで、稼げないリスクを回避するっていう発想です。なので、組織が大きければ大きいほど、自分の背負う責任も小さくなっていく。それは役割分担が細分化されるからです。すると、子会社ができたりして、大本のしごとからはどんどん遠ざかっていく。すると、気づいたら自分は、いったい何やってんだろうってなったりする。でも、そういうもんなんでしょうね。とくに大企業とかは。安心感とか安定感を得られるとはいえ、シャープとか東芝が傾く時代だったりする。

 

安心感とか安定感ってなんでしょうね。シャープとか東芝が傾く時代に単純でつまらないしごとでも高い給料なら安心なのか、それとも少しくらい薄給でも自分のスキルが身につくような仕事を続けて少しずつ自分の価値をあげていくのか。いろんな考えがあるでしょう。いまの自分の価値に不安があるひとは市場価値診断ならMIIDAS(ミーダス)!などで診断してみると、自分の価値が客観的にわかります。来年はIoT元年とも言われ、今後ますますIT人材の価値は高まっていくとおもわれます。プログラミングのオンラインスクールのCodeCampでプログラミングを学んでスキルアップするのも手です。Facebookを利用した転職アプリ『Switch.』で転職に対する意識もカジュアルな世の中になって、人材流動性の高い世の中になれば、ふるい給料の価値観も変わっていくとおもいます。

ではでは!

 

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