「プログラミング」っていう流行のお話
どうも、しゅーぴーです。
今日はどうやってものごとに取り組むべきか的なことを書こうと思います。
これからは◯◯すべき論
たとえば「これからは〜の時代だから、〜はやっとくべき」とか「〜くらい知っとかないと」とか、そういう風なことってテレビとか世間話とかで聞きませんか。で、それを聞いているとたしかになあってその場では納得するんです。最近よく聞くのなら「これからはプログラミングはできないとね」っていう話でしょうか。
流行よりもこわい人の真面目さ
たしかにプログラミングは出来た方がいいと思います。(まあ、悪いことじゃなければなにごとできた方がマシだとは思うのですが。)それでプログラミングを始めるひともたくさんいると思います。そうやって始めたひとに聞いてみたいのは、それは一体何のためにやっているプログラミングなんですか?ってことです。
手段と目的
プログラミングっていうのは、機械がわかる言葉で機械に働かせて人間が楽するための手段です。なので、昨今のプログラミングをやっといた方がいい的な風潮っていうのは、流行的なものであって、その動きをさらに真面目にしたものが小学校のプログラミング必修化だと思うんです。ここでいうプログラミングは、教養として身に付けるべき目的のためのプログラミングになっています。つまり、本来のプログラミングの「手段」という意味ではなくなっているんですね。
どっちの意味のプログラミングか
というわけで、世間でプログラミングが語られている時に気をつけたいのは、今の風潮の「目的」のプログラミングなのか、それとも元々の「手段」のプログラミングなのかを見極めるということです。これを取り違えると何のためにプログラミングをやっているのかがわからなくなります。真面目なひとはそれを考えないで必死に取り組むことはできるんでしょうけれど、目的が漠然としていると、時としてそのやり方が非効率で時間の無駄だということも世の中にはありますからね。
技術志向よりも、モチベーション
結局、プログラミングはやっといたほうがいい派のひとが陥りやすいのが、いわゆる技術志向というものだと思います。「こういう技術を持っているから、〜ができる」っていう考え方です。確かに技術があることは大切ですが、技術は技術でしかないんですよね。技術があるということで評価される世界っていうのは科学者的な世界のごくせまい領域に限られてきます。資本主義の世界ではそれよりも、何をつくるかが重要なわけです。その世界では、プログラミングを目的として究めるよりも、「こういうものがあったら便利だな。じゃあ、これを実現するには何が必要か。なるほど、プログラミングか。じゃあ、プログラミングを勉強しなきゃな。」っていう流れの方が大切だったりします。こういうものが欲しいっていうモチベーションの方が技術よりも先立つわけです。
まとめ
というわけで、世の中の流行のプログラミングのお話でした。
ちなみに今や世界最大級のSNSサービスとなったfacebookはPHPという言語でできているらしいです。
ではでは。