お金をつかって心をつかわずに済まそうとしていないか
どうも、しゅーぴーです。
今日は、現代的に生きることについて書いてみようと思います。
社会が効率化するなら、人は非効率を極めてゆくべきだ
AIやIoTなど、IT技術がこれからの世界を変えてくれるだろうという漠然とした期待感が、今の世の中には溢れているとおもいます。個人的には、現代は、芸能と技術の時代だと思っているので、それは好ましいことと捉えていますが。少し考えてみると、AIやIoTの目的というのは、ひとがラクをするためだと思います。というか、大体、世の中の仕事に求められているものというのは、突き詰めるとそういうものだとおもいますが。思うのは、といっても、すでに多くの方が言われていることかもしれませんが、社会が効率化の路線をとるなら、人が効率的な思考や思想にそこまでこだわらなくなってゆくのが流れではないかということです。何のためのAIやIoTなどのITの技術かということです。となると、人間はもっと今現在の生活の中で趣味だと捉えているような類のものを、もっと大切にしたほうがよいのではないかということです。
効率化の発想とお金
効率化の概念とお金の概念っていうものはとても近いところにあると思っていて、まず、どちらも定量的に測定ができるということです。職業病ではないですが、仕事でつかう発想をそのまま実生活に持ち込むことも可能なわけで、そうすると、生活自体も効率化されてきます。すると、人間世界の現象というものは、割りと簡単にモデル化されて、一番効率がよい方法は?一番価値があるものは何か?と考えるようになるのではないでしょうか。なんらかの意味で力のある人に価値があると考えるようになる。たとえば、権力、知力、財力といったモデル化は、誰の目にもわかりやすいものです。そして、これらの力を効率よく使うために方法を考えます。たしかに社会を渡ってゆくためにはそれも必要なことです。
お金をつかって心をつかわない
たとえば、老人ホームに入る高齢者を考えてみるとどうでしょう。お金をつかって、物質的、介護サービス的な価値を得ることができるのかもしれませんが、本心はどうでしょうか。極端なことをいえば、姥捨て山に捨てられる高齢者と立派な施設に入って、家族が一切面会に来ない高齢者となら、どっちが不幸なのかってことです。それがお金をつかって、心を使わない対策になっていたりしないかどうかは、しっかりと話し合う必要があると思います。
ではでは!