長時間働いて稼ぐのは、最高にダサいっていう意識の世の中になってほしい。
アイザワです。
今日は、はたらきかたについてかきます。
人が死んで世の中は動く
電通の過労死事件が大きなニュースとなり、個人的には世の中の労働が縮減される向きのニュースがとりあげられる印象が大きくなっていきている気がします。
初売り文化にしても、高度成長期的な旧習感がありますよね。/三越伊勢丹、三が日休業検討 18年から、従業員に配慮:朝日新聞デジタル https://t.co/nvq1owLDcc
— アイザワ シュウジ (@syuupii1) 2017年1月3日
ほとんどGDPが伸びていないわけで、そんなに時間をかけて働いたところで、意味がないとおもうんですよね。(この辺りはこの記事もみてみてください。過労死白書で見る日本の仕事のストレスと労働時間)もう働けば働くほど産業も給料も伸びるという、高度経済成長の時代はおわったわけです。つまり、働き方にしても、あたらしい時代の働き方が必要になるのは普通に考えてみても当然ではないかということです。
じゃあ、新しい時代の働き方がなんなのかといえば、いかに効率的に仕事をするかではないかと思います。同じ仕事でも、いかに時間をかけずに済ませるか。こういうしくみを整えることが、要求されるようになるのではないでしょうか。激しく働いたら、給料が確実に上がるならそういう風に働いてもいいのかもしれませんが、そうでもないなら、働く必要もないとおもいますがね。贅沢な暮らしが幸せだという時代でもなくなってきて、贅沢のできるであろうお金のある人も、そういう価値観を否定していたりするわけです。
フェラーリとかポルシェに乗ってるのカッコ悪くて。時代に合ってないでしょ。先日、街中でフェラーリが走ってるの見て、超ダセえ、今こっちいったら負けだなと思って。今住んでるバルセロナでも、歩いてるか自転車ですね。
— 高城剛 (@takashiro_bot_) 2017年1月1日
量ではなく、効率と価値に世の中は動いていくとおもいます。ビジネスモデルにしても、量=売上みたいなものはやめて、もっと効率について考えるべきでしょう。量が多い=ダサいっていう考えが、世の中の標準的な意識になっていけば、もう少し社会は明るくなるんじゃないでしょうか。これって、企業一つがやっても意味がない。全ての働く人が訴えるべきことだと思います。まさに民主主義政治の領域のおはなしになってくることだと思います。
というわけで、効率的にはたらきましょうね。
ではでは。