なくなりうる格差となくなりえない格差を理解すると成功できる理由
どうも、しゅーぴーです。
今日は、格差のことを書こうとおもいます。
世の中は不公平
これはほんとうのことだとおもいます。いろいろな不公平があるのが世の中ですよね。そしてあまり真剣に考え過ぎるといやになるし、だからといってそこまで考えなくても案外生きることができてしまうものだったりしますよね。
できるだけ公平な世界を妄想してみると
不公平をできるだけ現実的に公平にしてみようと考えると、たとえば生まれたときの環境や場所が限りなく公平な状況を考えてみるとおもしろいです。お金持ちの家とか、家柄のよい家だとか、そういった社会階級差をとりはらってみることです。なんとなく公平感がでたでしょうか。こういった階級差は、社会的なものなので、妄想ではなく現実的に考えてみても0にはならなくても、0に近づけることは可能だと思います。
とり除くのが難しい格差
社会階級的格差はなんとか減らせるとしても、才能の格差からは逃れることはなかなか難しそうです。才能は、個体差みたいなもので、そのツノの大きなカブトムシがいればツノの小さなカブトムシがいるみたいなものです。そればかりはどうしようもないです。ツノを大きく整形する方法もこれだけ技術が発達した現代ならあるでしょうけれども、それでも、いざもともとツノのおおきなやつと戦わなければならないとなると、ツノの大きな状態でいる期間の長さの差が、ツノの扱いの巧拙にあらわれてしまうことは否めないです。生まれ持って得意なものに、そうでないものが追いつくというのは非効率で苦しいものだと思います。
だれでもそれになれるけれど、頂点になれるのはまた別
才能の壁をやぶることはそうとう難しいです。おとなになって身長の低いひとが身長を高くしようと思うくらい無謀なことだと思います。これはある意味社会階級格差よりも残酷だったりします。たとえば、それが得意な人は少ない努力で上達の幅が大きくえられます。苦手な人は多くの努力でもなかなか上達しません。上達はするのですが、得意なものを伸ばすことと比べて相当な時間の犠牲をともないます。才能の見つけ方はこの本のストレングスファインダーをやってみるとよいです。
実際、その才能がある人というのはすでにそれをやってしまっている。それをやらざるを得ないようなひとなのかもしれません。ほんとうにプログラミングが得意な人なら、もしかするとすでにプログラミングをはじめてなにかアプリを作ったりしているのかもしれません。
才能とは、ほかの人からは努力とみえるものが本人には努力ではないものなのかもですね。
まとめ
だれしもなりたいものは自由であるわけです。しかし、能力的にそれに自分が適しているかどうかは全く別なはなしで、自分がなりたくもないものが自分の能力が最も生きる場所だったりもするわけです。ですから、成功したいと思うなら、なりたいと思うものからは少し冷静に離れてみるといいかもしれません。そしてストレングスファインダーなどで自分の才能、強みをみつけて、それに特化して努力をしていくことが成功の秘訣なのかもしれません。そして、社会的階級差は自分の能力を伸ばして成功すれば、自分の力でなくせるものともいえます。
ではでは!