たのしい工学

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あたまのよさとIQのこと

   

どうも、しゅーぴー(@syuupii1)です。

今日は、あたまがいいとかわるいとかについて書いてみます。みなさんは小学生の頃に

知能検査は受けましたか?

わたしは受けました。そもそも、当時、なんのためにこの検査をさせられているのかも知らずに受けて、あとになってあの検査であたまの良さがわかるらしいみたいな話を親に聞かされて、それからずっと、頭のよさを調べる検査、つまり、IQを調べる検査だと思って生きてきました。テレビとか漫画とかでもよくIQ150の天才だとか、IQが良い人があたまがいいみたいな話がでることが多く、すっかりそういうもんだと思ってしまいました。

しかし、最近とある本を読んでその認識がもしかすると全くの誤りなのかもと思い知らされたんです。

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それがこの本です。どこら辺が最強なのかという事が気になり、読んでみたのですが、その中にIQに関するページがあったんです。主に、p224〜p227のあたりにかけてですが、その中を少し抜粋してみます。

IQへの結論

ただし、日本で一般的に用いられている知能テストは、ここで紹介したような注意深い心理統計学的な検討を経たものではない。

たとえば比較的日本でよく用いられる知能検査方法の1つである「田中ビネー式検査」は、もともと1905年にアルフレッド・ビネーが同年齢の子どもと一緒に勉強することについていけない子どもを探すために、自らの娘の発達過程を観察した結果をもとに作ったものである。この尺度で高得点を出したから「天才児」というのは本来の使い方ではない。

心理尺度だろうが物理的な尺度だろうが、そもそもの定義と尺度の使い道がかみ会っていなければ意味がないのは同じである。「体格のよい子どもを探したい」と思ったとき、バスケットボール選手を育てたいのか相撲取りを育てたいのかによって身長を見るべきなのか体重をみるべきなのかは違うのだ。

差別に繋がるような知能テストの使い方に意味はないが、なぜそうした差別が起こるのかというと、知能テストの中身をよくわからずに拡大解釈しているからだ。前提も限界も理解したうえで目的に合わせて用いる限り、知能テストであれ何であれ、真に知りたい何かを知る力を、心理統計学は与えてくれるのである。

てなわけらしいです。IQテストは心理統計学に基づくテストらしく、もしも、あたまがいい人を探すための検査なら、それなりの心理学的解釈にもとづいた統計的検証がおこなわれないことには、どんな結果がでたとしても意味のないことらしいです。ようは、IQテストがあたまがいい人を発見するためのものならば、あたまがいい人向けのテストをつくってそれを検査に利用しないことには意味がないということです。

読んでいて思ったのは、IQテストさえも所詮は心理統計学に基づくものだということです。つまり、かりにあたまがいい人を発見するためのIQテストを厳密に心理統計学を駆使して作ったとしても、結局は心理統計学という判断にも主観的なものがあり、完璧にあたまがいいひとだということを決定するのには不十分だなぁと。もともと数値で表せるようなものではない人のあたまのよさをIQとかの数値で表そうとしている時点で、そもそも限界はあるんですよね。

一般に、マーケティングリサーチや社会調査、疫学研究を行なう統計家たちの多くは、知りたいことをそのまま質問すればいいと楽観的に考えがちだ。彼らは得られた答えはそのまま客観的事実を反映していると考えるし、そうでなくても単純な誤差として扱えばいいと思っている。

社会調査や疫学研究の質問紙に「あなたの親しい人にタバコを吸っている人はいますか?」と書いていた場合、単純に「受動喫煙している人って何%いるんだろうか」とか、「受動喫煙してるかどうかと健康状態って関連してるんだろうか」という興味で質問しているだけだが、心理統計家たちはそう単純には考えない。

質問に対する回答は必ず回答者の主観というフィルターと無関係ではないし、心理統計家たちは100年間、人間の主観を含む心の扱いについて議論を重ねてきたのだ。

「同じように喫煙者の友人がいる人の中にも、その存在を意識している人としていない人がいる」とか、「喫煙に嫌悪感のある人は、友人が喫煙者でも『親しい』という単語に引っかかってNoと答えるのではないか」とかいった可能性を考え、同様の質問項目を何パターンか用意し、因子分析を行ない、そこから得られた何らかの因子に対して意味を見出すべき、というのが彼らのやり方だろう。

マーケティングリサーチの中でも、「消費者行動論」という分野を学んできた者は心理統計学をバックグラウンドに持っており、社会調査系のマーケティングリサーチャーとの間で、調査方法について侃々諤々の議論が重ねられることもある。

ただしその一方で、因子分析というのはいくつかの因子があると仮定するか、とか、因子間相関があることを許容するか、とか、細かい違いによって結果が大きくことなりうる手法でもある。自分の考える因子構造になるように試行錯誤を繰り返す心理統計家たちの作業は、疫学や生物統計家たちから見れば恣意的なズルをしているようにも見える。

この因子分析っていうところに、どうしても主観が入ってしまうはずなので、一概にあたまのよさは言えないはずなんですよね。。

なので、きっとIQが高くなくても、あたまがよい人はいると思います。世の中ではIQは変に拡大解釈されているような気がします。

ではではー。

 

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