たのしい工学

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個人化と企業体質との戦い

   

どうも、しゅーぴーです。

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(引用:https://twitter.com/konosekai_movie)

今日は、日本企業のことについて書こうと思います。

戦争と日本企業

今朝のツイッターのトレンドに「この世界の片隅に」というアニメが入っていました。(今朝のNHKで特集してたからかもしれませんね。http://konosekai.jp)内容は戦時中の広島県呉市を舞台にしたもののようです。戦争の記憶というものは、こういう文化を通じて伝承されてゆくべきなのかもしれませんね。そして伝えられるメッセージというものは、決して戦争を肯定するようなものではないというものだと思います。このアニメも楽しみですが、個人的には、戦争の残酷さというのは、こちらの作品で

かなり感じることができるのではないかなあと思います。これを読むと、戦争のために出兵していくことがいかに異様なことだったかがよくわかった気がするのです。(とりあえず、時代背景、当時の社会の状況云々がこうだから仕方がないっていう話しは置いといて、戦没者を否定するというわけでもありませんよ。)そこにあったのものというのが、過労死などに代表される今の日本企業の状況とある意味似ているなあと思ったということで、異様だということです。とりあえず、上司からの命令は絶対で、それが正しいとか正しくないかは関係なく、強制されていくという構造は、この漫画の描写にもありましたが、玉砕のために突撃していく様子とにているなあと思ったということです。

自分の身の危険がせまっているなら、それは本能的に恐怖するものなんですよね。なので、上司の言葉だろうが、なんだろうが基本的にはやりたくないって気持ちがあると。社会の雰囲気は上司のいうことには従うことが正しくて、それが正義で、つまり、それが強いことだと誤解されている。でも、それは本質的には間違っていて、正しくは上司に向かって反対することなんですが、でも、反対できず命令を受け入れてしまい、自分の命を落としてしまったりする。そして、それは強さだとして、崇められる。こんな感じのことが、この漫画には書いてあり、これが昔の戦争の頃の日本の兵士、つまり、いまでいう企業戦士的立場の極端な形だったと思われます。

突撃する時は強いんですね。命令を受け入れたら、あとは死者狂いになって頑張るけれど、命令に反抗する強さは持ち合わせていない。

つまり、個人として戦うことをしない。基本的には皆一緒にやっていきましょうって考えるのが日本人というわけですね。でも、今の時代、これだけ西洋人との関わりが増えてくると、彼らのように個人としての強さを求めるようになるのが時代の流れとも言えます。つまり、過労死するのは甘いという発想もある意味は戦時中の上司は絶対だ、っていう意見のようなもので、それに対して、個人としての強さを求める発想、ようは、新しい、西洋人達ともまともにやりあっていく日本人になるための発想が、まだ日本では認められていないということのしるしのようにも考えられます。

国際化を目指すといいながら、そこで戦うために必要な精神性が否定されるというのもおかしな話しだと思うんですがね。つまり、今の日本はたとえ企業戦士という体裁をとっていたとしても、日本全体を包む精神というのは昔とは大きく変わってきているというわけです。なので、月給をもらって働いているなかで、隣のひとの顔を見ないと意見がいいにくいというのは確かにあるのはわかるんですが、それを続けることは昔に戻ってしまうだけだと思うんですよね。世界と渡り合う日本の精神は政府だけのものではなく、企業にもあっておかしくないもので、それを認める雰囲気が広まらないと、結局は将来がくらいと思うんですよね。

と、だらだら書いてしまいましたが、理想と現実は違うものです。個人的な発想が認められるような、ある意味未来的な風土のある企業もあれば、古いままの企業もあるのが事実だと思います。もしもしあわせを感じない職場なら、転職活動をしてみるとよいです。今のままでよいのか、それとも変わらなければいけないのかが、よく見えてくると思います。


ではでは!

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