たのしい工学

プログラミングを学んで、モノをつくりたいひと、効率的に仕事をしたい人のための硬派なブログになりました

下を向くわけではないけど、前をみすぎるのもつらい話。

   

どうも、アイザワです。

今日は、あまり未来を見すぎると逆につらくなるんじゃないかって話です。

SNSのおかげでわかるようになった社会と他人

今の時代は、特にできる人とか、意識が高い人とかは、さかんにSNSをつかって情報発信しますよね。まあ、できるひと皆がSNSをやってるってわけでもないですが、SNSの構造的に優秀な人の意見、発言はとくに世の中に拡散されやすいわけで、より自然と目立つひとは目立つようになっているんですよね。

昔だったらテレビとか新聞とか本とかにかぎられていたのかもしれませんが、それらほど敷居の高くないチャンネルが増えたことで、とりあえず、誰でもなんか言うことはできるようになったわけですね。

で、なんとなく思うのは、意識の高い人の発言が、いい意味でも悪い意味でも、影響を与えやすい社会になってきているってことです。意識高くないひとが意識高いひと、優秀な人の発言を以前よりも容易に入手できるようになったことで、かえって自分のペースを乱すひとも現れているんじゃないかなあってことです。facebook疲れってあるじゃないですか。他人のリア充ぶりを見て、卑屈になってしまうってやつですね。あれと似てると思うんです。ネットで話題の意見や優秀な人、意識のたかい人の意見にやたら振り回されて、気がついたら自分で何やってんのかわからなくなってしまったひととかっていると思うんですよね。こういうのをSNS疲れっていうんでしょうかね。

自分も〇〇みたいにっていう不幸

で、ネットの意見に感化されて何かをやるってことってあると思うんですけど、その前に、どうして自分がそれをやるのかを立ち止まって考えてみるのも良いかもしれません。もしも、その動機がネットで有名な〇〇みたいにっていうのなら、やめた方がいいとおもいますよ。だってそれはただ振り回されてるだけですよ。あなたはあなたであってその人ではない。それに結局、それって承認欲求の充足のためですからね。他人からどう思われるかを重視した幸せを欲していることになるわけです。そういう幸せを求めることっていうのは、どうかなって思う。あなただけが幸せになればいいんですよ。だれにも見せびらかす必要はないんです。

前を向きすぎる不幸

で、未来志向をすると、いろいろと行動を変えてみようと思う人もいると思うんですよね。それはそれでいいんですけど、ちょっと冷静になってみてもいいと思うんですよね。「あのとき決断したから変わった」とか、決断の素晴らしさを語って、ネットで脚光を浴びているひとがいますが、それはその人のことです。あなたにだって同じように決断はできます。だから冷静になってください。興奮の中での決断は、それは決断ではありません。決断は冷静な時にすべきです。それが後悔しない決断ができる可能性を最も高めてくれるわけですから。今を大切にしないことには、何もはじまりませんから。

ではでは。

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