【電通過労死事件】電通新入社員24歳、高橋まつりさんを悼む
どうも、しゅーぴーです。
昨日のニュースでご存知の方も多いと思いますが、電通の新入社員の方が過労死でなくなったという事件について書こうと思います。
本人とおもわれるツイッターより
他のサイトでピックアップされている「まつり」というアカウントがあり、内容からしてもどうもそれが本人とみられています。全てのツイートをみたわけではないですが、たしかに、報道されている内容のような仕事のつらさが吐露されたツイートが多く、亡くなったとされる2015年12月25日以降にツイートもないことから、本人の可能性は高そうです。いずれにせよ、内容をみるとかなり歪な職場環境であることがよくわかります。
就活してる学生に伝えたいこととは、仕事は楽しい遊びやバイトと違って一生続く「労働」であり、合わなかった場合は精神や体力が毎日磨耗していく可能性があるということ。。
— まつり (@matsuririri) 2015年11月14日
ツイッター、退職時に訴訟するための証拠として使ってるまである。
— まつり (@matsuririri) 2015年11月5日
100時間残業は大したことないという意見について
この発言で炎上している方もいるようですが、その発言内容がこちら
月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき。
(引用:http://anond.hatelabo.jp/20161008104200?utm_source=feedburner&utm_medium=twitter&utm_campaign=Feed%3A+google%2FtwRl+%28はてなブックマーク+-+人気エントリー%29)
電通事件とは関連ない発言だという見方もあるようですが、一応、炎上した事実としては、電通事件に紐付いたことが原因らしいので、そういう見方でとりあえず書かせてもらいます。そして、この発言内容についてネット上の反応はというと、肯定的に見る人もいれば、否定的に見る人もいるようで、ようはこの内容自体はそれほど間違っていないという世論があるという感じです。ただ、電通事件に対してのこの発言となると、まあ、適切とはいえないでしょうね。おそらく、高橋さんのことを甘いと思っているひともいれば、かわいそうだと思っている人もいるというのが実際ではないかと。
で、改めて内容をよくよくみてみると「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。」というのは、よろしくないですね。まず、過労死の原因の全てが残業100時間と捉えられている点です。報道内容を振り返ってみましょう。
代理人弁護士によりますと、大手広告代理店「電通」の新入社員だった高橋まつりさん(24)は去年12月、都内の会社の寮で自殺しました。高橋さんの残業時間が100時間を超えていたことなどから、労働基準監督署に過労死と認められました。
(引用:テレ朝News)
社会的に断定するには基準が必要です。過労死の場合、その基準が労働時間であり、その労働時間が結果100時間と、過労死認定基準80時間を超えていたために過労死と認められたわけです。で、この発言者や、この内容が正しいと感じてしまう人が見落としていると思われる点ですが、弁護士さんの見解をお借りしますと、
現在の労働行政では、一応、過労死ラインは80時間(月に20日出勤とすると、1日4時間以上の残業・12時間労働)とされています。これは、健康障害の発症2~6ヶ月間で平均80時間を超える時間外労働をしている場合、健康障害と長時間労働の因果関係を認めやすいという目安です。また、発症1ヶ月前は、100時間(月に20日出勤とすると、1日5時間以上の残業・13時間労働)を超える時間外労働をしている場合も、同様に健康障害と長時間労働の因果関係を認めやすいとされています。これは、あくまで目安であって絶対的なものではありません。過労死ラインを超えていないと、健康障害が労働災害と認められないわけではありません。一般的には6カ月を平均して45時間を超える時間外労働が行われた場合健康障害と業務との関連性は強まっていき、これを超えて期間外労働時間が長くなるにつれて、その因果関係はより強まっていくとされています。そして、過労死ラインに達する程度に至った場合には、相当程度因果関係が認められるという考え方を取っています。
(引用:労働問題弁護ナビ https://roudou-pro.com/columns/34/)
と、これを読んでもらうとわかりますが、つまり、「健康障害の発症2~6ヶ月間で平均80時間を超える時間外労働をしている場合、健康障害と長時間労働の因果関係を認めやすい」という目安があるわけです。ツイッターをみていてもわかりますが、本人もかなり精神的に追い詰められていたようです。そこに事実として、労働時間100時間を超えていたというわけで、うつ状態など、ようは、健康障害の状態にあった可能性があるというわけです。
例えば、風邪をひいているひとを、その人が風邪をひいているとも知らないで元気なひとがみると、元気なさそうだなと思うわけです。それは少なくともその人が元気であるということが大きく関わっていて、もしも、その人も風邪をひいていたら、「お前もかぜ?」っておもう可能性はまだ高いのではないでしょうか。それは少なくとも自分も風邪をひいているからわかるという感覚があったりするわけです。
で、風邪のひきやすさもひとそれぞれです。全然風邪をひかない人もいれば、毎年冬になると必ず風邪をひくひともいる。これは個人差のあるの問題なので、仕方のない部分があることは認められないのでしょうか。いままで風邪を引いたことがないから身体がつよいと思っていた人が、いきなり大病を患って死ぬこともあるわけです。そんな風邪をひくかひかないかで強いとか弱いとか議論するのって、愚かだと思いませんか。
大切なのは、苦しそうにしている人には苦しくなくなるように、病気である人を治してあげるように手を差し伸べることができることではないでしょうか。そして、それは他人への配慮の気持ち、想像力というものではないでしょうか。たとえば精神を病んでしまえば、普通なら上げられるはずの声があげられなくなったりもする。仕事には厳しい局面があることを十分に理解しているなら、声をあげたいけれど、声をあげられない他者の気持ちを理解することは、それほどに難しいことなのでしょうか。。
あなたがそうでも、わたしがそうだとはかぎらない。わたしがそうでも、あなたがそうだとはかぎらない。
こういう視点を持つことは、果たして弱さなのでしょうか。わたしはこれが弱さだと言われるなら、そんな人とは付き合いたくありませんし、そんな組織では働きたくもないですね。
仕事には合う合わないがあるのは事実です。
あなたがその仕事を100時間やって死なないとしても、わたしはその仕事を100時間やったら死ぬ。
これは弱さなのでしょうか。
あなたがその仕事を100時間やって死ぬとしても、わたしはその仕事を100時間やっても死なない。
これは有り得ないのでしょうか。
いやならすぐに辞めたっていいですし、辞めたくなければ休職したっていい。健康を害して判断力を奪われても、手を差し伸べてくれるような世界じゃないなら、すぐに逃げるのが正解ではないでしょうか。それを逃げるのはだめだとか言うのは、どうも筋が通っていません。
理屈で考えるよりも、自分の感覚をしっかり持って、仕事の出来とかの判断力はどうでもよいので、逃げる判断力だけはしっかりしたいものです。
生きるために働いているのか、働くために生きているのか分からなくなってからが人生。
— まつり (@matsuririri) 2015年11月3日
高橋さんの死が社会を変えてくれるきっかけになることを願ってやみません。
ではでは。