「いつか死ぬ」感覚が人生を豊かにする
どうも、しゅーぴーです。
週末ですね。たまには、ぎすぎすと生きることから力を抜いてみることも大切ですよね。
いろんなものから自由になれているか
ふと振り返ってみると、じぶんを縛っているたくさんのものに気がつくかも知れません。しかし、よくよくそれを考えてみると本当はそれほど重大な理由ではないのかも知れません。じぶんがこうしなければいけないことなどは、本当はなにもないのかもしれません。たとえばお金のためには、仕事をしなくてはならない。たしかにそのとおりですが、はたしてその仕事をしなくてはいけないのかは、また別なのかもしれませんよね。実はあなたの人生にはそんなにお金はなくてもいいのかもしれません。なぜなら、人生を充実させる価値のあるものには二種類あって「お金で買えるもの」と「お金で買えないもの」があるからです。
あなたのほしいものはわかっていますか
じぶんが一体何を欲して生きているのかを考えてみるといいのかもしれません。とある目標のためにお金が必要なひともいれば、時間があって悠々自適な暮らしをしたいひともいる。前者はある意味「お金で買えるもの」を目標としていて、後者は「お金で買えないもの」を欲しているともいえます。基本的にお金を稼ぐことには準備が必要なので、稼ごうとするほどに時間がとられるようにできているのは世の中だとおもいます。じぶんがどっち側なのかを知ることがまずは大切ではないでしょうか。しかし、そのどっちがわなのかを知るのが案外むずかしかったりするんですよね。
夢中になれるもの、きもちよいことを知る
まあ、いいことずくめの人生なんてものはないわけで、かならず何かを選べば何かを捨てなければならないものだと思います。その「捨てなければならないもの」がじぶんにとってどういうもの、いかほどのものなのかの評価をすることが大切で、それさえできてしまえば案外簡単な気もします。選んだものの評価は?と思うかもしれませんが、そっちの評価はあんまりいらないのかなと。なぜなら本当に選びたいと思っているものに、いくら理由をつけたところで意味がなかったりするからです。結局、理性的な解釈というのは、選ぶ過程の手助けをしてくれる道具にすぎず、決定するものは、いつだって自分の感情でしかないからです。たとえば人を好きになる気持ちに似ているのかも知れません。好きになってしまうことに理由ってないですよね。それは自然なものですから、理由だと思っているものは、たいてい好きになった後からくっつけたものである場合が多いです。自分が夢中になれるもの、やってて気持ちよいものを選べれば正解ではないのかなと思います。
選ぶのがこわい
たしかに勇気がいることもあるかもしれませんが、じつは世の中の大半のひとが選べないひとだったりするわけで、選ぶことができる時点で何らかの成長があるに違いないです。それくらい選べるひとはすごいと思っています。まずそういうひとは選んで後悔をするようなことはないです。酸いも甘いもという言葉がありますが、どんなことだって解釈の仕方でその人の人生の血肉にすることができるはずですから。
まとめ
個人的に一番こわいとおもっていることは、選べないで死ぬ時に後悔することだとおもっています。よくよく世の中を見てみると、大体の人がおなじような人生ですし、そんな中でもしも思うことがあるならば、選べることはそれだけで尊いことだと思うのですがね。選ぶことはごくごく個人的な理由に基づくものなので、他の人からの理解を得ようとすることにはまず意味がないでしょう。それよりも、じぶんの声を聴けるセンスを持つことです。それだけで人生たのしくなるはずです。
というわけで、よい週末を!
ではでは!