「夢があるようじゃ人間終わりだね」
どうも、しゅーぴー(@syuupii1)です。
タモリさんが「夢があるようじゃ人間終わりだね」と言っていたので、今日はそのことを書こうと思います。
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たしかに「夢」ってなんでしょうね。寝ている間にみるあれなのか、それとも将来に思い描くあれなのか、人によって最初に思い浮かべるイメージは様々かと思いますが、今回は将来に思い描く方の夢です。
それで、タモリさんの発言ですが、その真意について調べてみたところ、ネットにこんな記事がありました。http://news.livedoor.com/article/detail/10097785/
抜粋しますと、
草なぎが「人って夢のために頑張るっていうじゃないですか?」と問うと、タモリは「夢があるようじゃ人間終わりだね」とバッサリ。
草なぎもタモリに同意を示し、「それを美徳としてる感じあるじゃないですか?」「夢に向かって頑張ろうぜみたいな。じゃ、叶っちゃったらどうすんのって話で」とこぼした。草なぎは小さい頃から芸能界で仕事をしているため、早い時期から夢が叶ってしまった部分もあるのだという。
タモリは「夢の達成される前の期間は、まったく意味のないつまんない期間になる」と指摘し、そうした人生を「悲劇的な生き方」と断言してみせた。さらに「夢が達成されなかったらどうなるんだ?って話だよね」とも口にした。
タモリによると、一芸を成し遂げた人は、何かに夢中になっていただけのことだという。「そういう人たちは夢を持ってやってたかっていうと、そうじゃないよね」と鋭く迫っている。
ということです。普通に生きていると、夢を持つ事が美徳みたいな印象ってたしかにありますよね。「夢の達成される前の期間は、まったく意味のないつまんない期間になる」と言っています。これは、夢が達成されてしまったとしても同じような事になるような気がします。つまり、意味がある楽しい期間というのは、夢がまさに実現したその瞬間にしかないような感じでしょうか。例えば、野球で甲子園に出場が夢というのがわかりやすいでしょうか。出場が叶った瞬間は嬉しさにむせび泣くかも知れませんが、その熱が一生続くことはないでしょう。
夢が達成されなかったら、これはどうなるのか。その人は不幸なのでしょうか。そうではないでしょう。甲子園の例のように、一時期の喜びの余韻で生きられる程、人生って単純ではないですよね。夢は叶っても、叶わなくても、寿命がある限りは、人生はいろいろな感情を引き連れながら流れてゆくものです。
夢は持つものでも、見るものでも、叶えるものでもないのかも知れません。世間があの人は夢を叶えたと言っている人、例えば、スポーツ選手などがやっていた事というのは、ひたすら練習だったと思います。他の人が遊んでいる間にも、それに没頭していたのでしょうから。誰かに強制された訳でもなく、本人の興味や関心が最高に集中した形が傍目からは自然と努力のように見え、それが実を結ぶ事が「夢が叶った」の正体でしょうから。そこには打算が限りなく少ないはずです。そういう意識がある場合はほんの僅かで、ほとんど無意識にそれに没頭している。夢は結果論の綺麗事的脚色なのでしょう。
そういう形をとるものが夢の正体ではないでしょうか。となると、大切なのは夢を語る事ではなく、自分が何に興味があるかという事、その一点ですよね。興味がある事を死ぬまで続ける。それが結局は幸せで、世間的には見事な「夢を叶えた人」という訳なのでしょうね。
ではでは。